咳気の雑念

池上、所沢と続けて立川談春の落語を聴く。


池上での演目は「禁酒番屋」「除夜の雪」、所沢での演目は「禁酒番屋」「鼠穴」。「禁酒番屋」を続けて聴くことになったが、特に、酒屋の番頭の扱いが変わっていたように思えた。意識的に変えたのか、流れの上で変わったのかわからない。


「除夜の雪」「鼠穴」とも初めて聴く演目で、非常に楽しめた。「鼠穴」、最後の「夢は土蔵の疲れだ」というサゲは常識のように思っていたのに、そこに至るまでの流れをすっかり失念していた。そのせいか竹次郎の行く末に必要以上に手に汗握ることに。


禁酒番屋」のマクラで談春柳亭市馬柳家花緑柳家三三のいずれも下戸(だった)というのが面白かった。今の落語ブームの(比較的)ストイックな部分を背負う(?)人たちが揃って下戸というのが面白い。それでいて酒に酔った時の演技はみんなうまいよなあ。


「下戸の芸能史」っいうのがあるのだろうか。古今亭志ん生桂春団治といった泥酔者とは別の流れ。たしか明石家さんま関根勤も下戸だったはず。


しかし聴いたことがない演目だと嬉しくて、何度か聴いた演目だとちょっと残念、というのはよくないなあ、とは思う。同じ話でも何度でも笑えるのが落語、というお題目になっているのだから。でも実際はそんなことなくて「また紺屋高尾か」と思ってしまうし、聴いたことがない演目、珍しい噺だとつい嬉しくなってしまうのが現実。


これが「いろいろな演目をできるだけ聴く」という方向になると何だかスタンプラリーのようになってしまう(「小言幸兵衛」まだ聴いたことないので、ネタ出ししてるから聴きにいくか)。それはちょっと違う気がするのだが、ある意味それも楽しいなあ、とかそういう蒐集欲が今の(沈静化しつつある)ブームを支えているのかもな、とかいろいろ考えたりもする。


いっそ、今までに見た演目の一覧(聴いた落語家を含めて)を公開できるサイトがあったら面白いかもしれないなあ、とも思う。粋な人は野暮だと言うのだろうなぁ。