新年度隠し湯

タイトルの流れから「信玄のハナクソ」(「鴻上尚史オールナイトニッポン」で考案された大河ドラマ武田信玄」便乗商品。中身は干しぶどう)のことをふと思い出す。
…ああ、そして伝説へ。


品川・CANON S TOWERまで田中秀幸フレイムグラフィックスアーカイブスを見に行く。
壁一面に現在の「ガキの使いやあらへんで!?」を始めとする今までの作品の画像が設えてあり、中心に3つのプロジェクタで過去の映像を参照できる仕組み。
その映像は人が占領してて選ぶことはできなかったけど(ヘッドホンで音は聞ける)。篠原ともえの「ウルトラリラックス」やら電気グルーヴの諸作品(「Nothings gonna change」やら「新幹線(Tab Eater Mix)」やら。「シミズケンタウロス」のエンディングまであったのには笑った)がありました。
すいている時を見計らってもう一度行ってみよう。


今週の「いわゆるひとつのチョーサン主義」は、「チョーさん」と間違って天国に来たいかりや長介が、自分の寿命を意味するローソクをチョーさんに継ぎ足す…という内容。
何というか「戦時状態」という感じですな。モデル漫画に落とす暗い影。


山本夏彦「夏彦の写真コラム傑作選<1>」を読む。
週刊新潮に長期連載されたコラムの前半6冊分の中から藤原正彦が選んだもの。
しかし、このコラムの「写真」って何の意味があったんだろうか。
この本の冒頭、そして連載自体の第1回は「かわいそうな美空ひばり」として、当時(1979年)トラブル続きでにっちもさっちもいってなかった美空ひばりを取り上げている。選者の藤原は解説で「ひばりファンの私としてはこれに納得いかなかったが、よく読むとこれがひばり擁護であることがわかる」という意味の言葉を記している。
私はこれを読んでも美空ひばりを擁護したものとは思えないのですが(少なくとも「嗤い」のエッセンスはあると思う)まあそれはいいです。
変なのはそのコラムに美空ひばりの晩年(1988年頃)の写真が添えられていること。雑誌連載時にその写真が使われているわけがないのに。きっと雑誌に添えられた写真はもっと週刊誌っぽい、俗悪な写真だったと思うんだけどなあ。
雑誌連載当時、単行本初出時には撮ることのできない、未来の写真を載せることで、それがコラムのイメージ操作にまでつながるのだったら、じゃあ「写真」って一体何なの?ということになってしまうのです。

内容自体は面白いです。この人もともといろんな事に口を出すというより一つの事を言いつづけるタイプの人なので、圧縮するとこれぐらいでちょうどよくなるのではないかと。今でいえばジャンルは違うけど高島俊男がそれに近いのかな。


おお、「清水ミチコのお楽しみ会TOUR」が7月に横浜で!
これは行ってみようかな。前回とネタが変わっているといいけれど。