追悼・赤塚不二夫

赤塚不二夫について。


コロコロコミック」で読んだ「チビドン(1980)」「花の菊千代(1981)」あたりが最初か。
 今思うと、当時のコロコロコミックの流れでいうと、やや外れた漫画だったようで、いずれも短期間の連載で終わっている。


親戚のイトコの家で読んだ「レッツラゴン」の単行本。既に連載から何年もたってから読んだように思ったけれど、あまりのほかの漫画との違いに面食らった覚えがある。親戚の家に行くたびに「レッツラゴ
ン」を読んでいた。
 時を同じくして、曙出版での「天才バカボン」を何冊か読んだ。


「ニャロメのおもしろ数学教室(1981)」。
キャラクターを使った教育漫画の走りのような漫画で、ゼロの発見からリーマン幾何学までを解説する漫画だった。悲しいかな、それぞれの言葉以上に頭には入らなかった。


学校の図書館にあった「赤塚不二夫のまんが古典入門(1984)」。
 光源氏をイヤミ、吉田兼好をダヨーンのおじさん、松尾芭蕉がハタ坊、といった赤塚漫画のキャラクターが演じていて、古典のガイドラインはあの漫画で覚えてしまった。
 ずっと後になって、長谷邦夫の本を読んであれは横山孝雄が書いたことを知った。


「ニャロメの非公式科学万博おたのしみガイドブック(1985)」。
 どうしてこんな本を買ったのだろう。つくば万博は、自分たちの世代にとっての大阪万博なのだよ。結局、万博には行かなかったし、どんな漫画だったかは覚えていない。「富士通館」「三井館」「集英社館」といった単語のみが記憶に残っている。


なんだか本線の漫画から大きく外れたものばかり読んでいる気がする。「おそ松くん」「バカボン」「ア太郎」といった漫画をリアルタイムで読んでこなかったので、赤塚漫画は最初からキャラクターありきだったのかもしれない。だから、そこから派生した、アシスタントやブレーンたちが書いた漫画をリアルタイムで読んでいたのだろう。すでに全盛期はすぎ、余禄で描かれた漫画たちを。


だから、まず赤塚不二夫は「トキワ荘グループのひとり」「ギャグ漫画の開祖」として知識先行で読んでいたのかもしれない。
テレビにもよく顔を見せていたが、酒飲みの文化人、という位置づけでしかなかったように思う。


ただ、アニメ「元祖天才バカボン」は大好きだったなあ。
 オープニングからエンディングまで夢中になって見た。バカボンのパパが最後にスイカにされてしまう話が強烈にトラウマになっている。


なんだか、短文しか書けない自分にしては、文章が長くなった。絶賛する形で追悼するには疑問が残り、ちょっとですませるにはもらったものが大きすぎる。赤塚不二夫を全盛期に体験できず、その残り香しかかげなかったのがとても残念に思う。


どうもいろいろありがとうございました。